統計,確率のお勉強

統計学を主に勉強しています。勉強したことをアウトプットしていきます。 (※数式はMathJaxにより描画されています。ロードに少し時間がかかることがあります。)

Study Probability & Statistics

確率統計の理論と実践

「分かりやすい説明」という聞き手(読み手)の怠慢

「説明力」を求められる理系

最近、世の中から、特に理系に求められる能力として説明力がある。Wikipediaのような集合知、そこそこ専門的な知識でもググれば、その内容(理解できるかは別として)をすぐにでも確認することのできる時代に、専門用語をならべて偉そうに話す専門家の存在意義は薄れてきている(専門家が不要な訳ではない)。私自身、このことに対して、強く賛同している。分かりやすく説明できるということは、その分野に対して深い理解を持っていることの証明でもあるし、そのような説明ができる人間になりたいと考えてる。

 

氾濫する超入門書、内容の薄い○○でも分かる△△学

分かりやすさを求めるのは最早、世の中の大きな流れとなっていることが、書店に並ぶ本を見れば分かる。大きな書店に行けば、理工書がコーナーとしてあると思うが、そこに並ぶ本の中に少なからず、超入門系の本が置かれている。○○超入門!とか、文系でも分かる○○学!などといった本たちだ。目を引きやすい、いかにも優しそうなイメージの表紙に、「もう挫折しない!」みたいな帯がまかれていたりする。これらの本が一定数限りのあるならんでいるということは当然それなりに需要があるからならんでいるのだ。つまり、世の中がそのような本を求めているから、数少ない書店のスペースに、内容の薄さに対して、無駄に厚い超入門書が置かれるのである。

 

これらの本が、本当にわかりやすければいいのだ。数式を用いず、統計学ならば、各手法について、どうしてその手法なのか、どうやって使うのか、その結果は何を意味するのかを懇切丁寧に書いてくれるような書籍が本当の「分かりやすい」本なのではないかと思う。しかし、実際はどうだろう。特に私がよく見るのは統計関連のものだが、この手の本はだいたい、Excelの使い方を指南して終わる。なんか「回帰分析で予想!」みたいなことが書いてあって、Excelで一生懸命回帰分析の結果がでるまでの様子を、写真付き(これが、内容は薄く、本は厚くなる理由である)で説明するのだ。このことにどれほどの価値があるというのだろうか。正直、グーグルで検索したほうがよっぽどいい解説が出てくるだろう。そのレベルの無価値な本に、1600円、2000円なんて、どうして払えるだろうか?それ以上に、限りある書店スペースをそれらの本が占有していることが腹正しい限りだ。

「今」の入門書と「昔」の入門書の違い

分かりやすさが叫ばれるようになり、入門書のイメージも変わってきている。昔の入門書というのは「事前知識なくとも、読み進めることができる」というのが、「入門」の意味であった。例えば、多変量解析の入門書を読み進めるにあたって、行列の知識がかなり必要になってくる。昔の入門書というのは、このような必要な知識を付録として巻末に書いておいてくれる。また、当然、確率分布の定義から始まり、確率密度関数、期待値、分散共分散行列と、一つ一つ必要な知識を厳密に書かれているものであった。その分野の基本を詰めたようなものが入門書の意味するところであったのだ。それに対して、現在の入門書というのは、全く知識がない人に「なんとなくわかった気にさせる」ことが(超)入門書の意味するところになっている気がする。こういうものがあって、これはこう使います!といった、中身をそぎ落としすぎて、用語とExcelの使い方を説明する、「知ったか」を育成することを目的としているんじゃないかと疑いたくなるようなものだ。そもそも、学問というものはそれぞれの分野に一生をかける研究者がいる以上、本一冊読んだ程度で理解できるわけがない。

 

分かりやすさを求めた結果なくなるもの

分かりやすい説明をするためにはそのトレードオフとして「厳密性」が失われる。このことは多くの場合において重要ではないと考えられるが、それが失われることにより、多くの勘違いを生む結果となる。学問における定理、公式には、それが成り立つための「前提条件」というものが往々にして存在する。当然、説明する側はそのことは十分に理解しているだろうし、当然説明するときも、どこかしらで、その前提に触れていることだろう。しかし、聞き手側はどうだろうか。世の中の多くは、理系的な考え方に触れていない人が多く、そのような簡易な説明を求める層の多くはそのような人たちに占められると考えられる。そうなったときに、でかでかとプレゼンテーションで定理の内容が書かれていたのを見た聞き手が前提条件など覚えているだろうか。多くは覚えてなどいないだろう。関心があるのは、その結果にあるのだから。そうなってくると、当然前提条件が無視された定理の乱用が始まる。無価値な分析が世の中にはびこるようになる。統計等はその手法(Excelでなんかすれば結果出てくるし)よりも解釈のほうが難しい。そして、"Excelで分析した感を出した何か"を一生懸命発表するのだ。その結果が本当に正しいか、解釈があっているのかは二の次である。

 

何事も理解するためにはそれなりの努力が必要

分かりやすい説明を求めることは悪いことではない。ビジネスマンは研究者ではないので、少ない時間で概要をつかむ必要があるだろうし、研究者はそれにこたえられるほうがいいに決まっている。学生は、小難しい説明を永遠とされたらその授業に出る気など起きないし、勉強する意欲を失ってしまうだろう。

 

しかし、何を理解するにも、まっさらな状態で、なんとなく聞いていたのでは、いくらわかりやすい説明でも、理解できるわけがないのだ。その説明している人は数年から数十年をその分野にかけている人だろう。その内容の一部を短時間で、興味を持ってもらえるよう、もしくは、あなたが求めている部分だけに絞って説明してくれているのかもしれない。その努力に敬意を払い、自分なりに、理解する努力する必要がある。教えてもらうといった受け身思考ではよくない。学ぶんだという積極性が、たとえ、ガンガン質問にいくといった積極性までは持てなくとも、心持ちだけは積極でなくてはならない。そうでないと「分かりやすい」を追い求めた結果「内容の薄い」本や説明しか残らなくなるだろう(さすがにそんなことはないと思うが)し、そのような説明を聞いたり、その程度の本を読んだところで何も得るものなどない。そうならないためには、聞き手、読み手側にもそれなりの準備、努力が必要だと考える。

 

 

50年くらい前の本と現在本屋にならんでいる本を比べて、最近理論部分をしっかり扱う本が少ない(無いわけではない)気がして、ちょっとした愚痴でした。なんかすいません。